マグリット回帰
午後、小牧市のメナード美術館へ夏の所蔵作品展を観に行く。
お目当ては、ジェームズ・アンソール「仮面の中の自画像」(1899)。
実物に対面してみると、想像していたよりも大きく感じた。アンソールの顔がほぼ実物大くらいの大きさ。
岸田劉生の代々木時代の初めて見る作品「道と電信柱」(1914)を鑑賞できたのも収穫。
つややかなニスに覆われた青空、道端の緑と力強い赤土、電信柱と朱色のカズラの花、天辺には金のアーチ型装飾。
そんな中で、ルネ・マグリットの「星座」(1942)という作品も展示されていた。
マグリットの不思議な絵は子どもの頃から好きだったが、近年は興味も失せかけていた。
だがしかし、この春東京の国立新美術館で開催されたシュルレアリスム展に展示されていた、マグリットの「ストロピア」という作品を観て以来、彼のまた別な側面への魅力に対しての関心が再燃していた。
それにしても「ストロピア」は、まったくもってマグリットらしくない筆致の作品である。
子どもの落書きのような粗雑なタッチで描かれた、ヒゲに眼鏡につながり眉毛で顔じゅうから喫煙パイプを生やした変なおじさんの肖像画。
ストロピア (Le Stropiat) とは、マグリットの生まれ育ったシャルルロワあたりの方言で、身体の不自由な人を意味する言葉であるとのこと。
いつもならマグリット作品には、何かしら合点してニヤリとさせられる知的なユーモアを感じられるものの、この作品はただただナンセンスでアナーキーな印象。
解説によると、これは第二次大戦後の1948年にマグリットがごく一時期のめりこんでいた「ヴァッシュ(牝牛)の時代」の産物だそうだ。
「フォーブ(野獣)派」のように荒い筆致だけど内容は別物という意味合いで命名されたらしい。
この作品はそれまでのマグリット愛好者にはこの作風は不評で、マグリットはすぐにまた元のような筆致に回帰し、晩年までこのスタイルを採用しなかったという。
しかしこの八方破れで腰砕けな「ヴァッシュ」への共感と、この作風を希求したマグリットという不可思議な人物に対する興味とが、ここ半年ほど、ゆるゆるとながら持続しつつ、次第に高まってきていた。
そして今日、マグリットの「星座」に対面することになった。
地平線の彼方に黄色い光が見える曇り空の平野に立つ、樹木と葉との融合体。
そして天辺には、鳩と葉の融合体をあしらった赤いカーテン装飾。
一瞥したところ格別どうというものでもなく、いつものマグリット調。
モチーフとなった不思議なオブジェからは第二次大戦下の状況における平和と自由への希求が読みとれる、といったところか。
最初はそんな印象で、ざっと流し見しただけだった。
しかし館内を行ったり来たりして何度かこの絵も見返すうちに、マグリットの筆致に興味が募ってきた。
思い入れたっぷりの筆遣いで一筆一筆に情念をほとばしらせたわけではない。
教科書通りの筆法でさらりとお上手に画面を作っただけとも片付けられない。
それでもこの無用なこだわりを感じさせない筆遣いからは、なにかしら不思議に生きた味がする。
パンキッシュな知への愛。
ミュージアムショップで、タッシェンのニューベーシックアートシリーズ「マグリット」の巻(マルセル・パケ著)を購入し、家に帰って読みふける。
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エジプト旅行でピラミッドを見たあとの感想
「こんなものだと思っていたよ」
アトリエらしいアトリエを構えなかった理由
「絵の具をカンヴァスの上に着地させるために描くのであって、絨毯の上に着地させるために描くのじゃないからね」
ルイ・スキュトネールによるマグリット評(『銘文(Inscriptions)』による)
「彼は牢獄から逃れるために牢獄を利用した」
等々、興味津々。
マグリット NBS-J (ニュー・ベーシック・アート・シリーズ)
- 作者: マルセルパケ
- 出版社/メーカー: タッシェン・ジャパン
- 発売日: 2001/05/31
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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