脱獄囚、テレビの声、共犯関係、リアリズム、散開方式

脱獄囚のいた風景
 夕刻、広島刑務所からの脱獄囚が3日目にして逮捕されたというニュース。
 「もう刑務所に帰る。二日間何も食べてない。疲れた。」というのが逮捕時のコメントだったとか。
 P. K. ディック『流れよわが涙、と警官は言った』をふと思い出す。
 この堅固な現実社会の檻から逃げ出したところで、カネと身分証明とがなければ、独りぼっちではすぐに力つきる。
 街にはたいしてモノがない。軒先に大根でも干しているような民家がそこいらにあるわけでもない、一面に薄灰色のプレハブ風景。
 それがどんなものであるのか知りたければ、試みにカネも情報端末も身分証明書も持たず、一日なりと街に出てみればわかるだろう。

テレビの声「嫌だ、嫌だ、嫌だ。」
 ムチャ振りで嫌々何かやらされる。
 いやでもやらなければのけ者にされる。
 笑い者になる。笑わせるのではなくて、笑われる。
  見てると疲れるバラエティ番組。

共犯関係
 タネを知っていながら、その小手先のやり口をもてはやす。
 やり口が変わったら、そのむね承知して、あらためてまたもてはやす。
 手品の仕込みのような。

社会主義リアリズムとその受容
 「誰にでもわかる」
 「正しいやり方の」
 「唯一の」表現伝達形式
 →「写真術」の一般的受容精神
  →「心霊写真」の誕生とその需要
 ⇔作家=作品主義の鑑賞行為


 散開形式
 局外編集