旅の残り

 先の週末、使用期限のせまった青春18きっぷの残りを使い、ちょっと出かけた。
 なんとなくディーゼルカーに乗りたくなって、乗ったことのない路線の列車に独り揺られてみる。だけど旅の気分はいまひとつ盛り上がらず、なんだか空回りした気分で帰宅した。

 それでも今こうやって思い出してみれば、途中下車した駅で駅前のスーパーマーケットのお惣菜コーナーに地方色を感じたり、今回は途中下車できなかったもののホームからの眺めがいい駅を見つけたりといった、ささやかながら旅らしい記憶がよみがえる。

 目的地に迅速確実に到着すべき「移動」ではなく、することもない宙ぶらりんな時と所に身を置くことに「旅」の味わいが生まれる。
 さらにその宙ぶらりんな時間と空間に目的外の広がりがたくさんあったほうが楽しい。車窓を眺めたり、買い食いしたり、寄り道したり、立ったり座ったり歩いたり。
 私が高速バスや飛行機より鉄道に乗りたいと思うのはそんな理由から。

 だけどこの夏は、せっかくの青春18きっぷもほとんどを「移動」のために気ぜわしく使ってしまった感じがする。
 金額的にはきっぷの元がとれたけれども、このきっぷからどれだけ「旅」の気分を引き出せたかという点では、今回は損な使い方をしたように思う。

二百十日

 夜が明けるとカーテンが赫く染まっている。空が朝焼けていた。

 2018年10月27日から東京都美術館で開催されるムンク展のチラシに目を通す。今回の展覧会はオスロ市立ムンク美術館のコレクションによるものらしい。
 企画展の目玉作品として喧伝されている「叫び」は、オスロ国立美術館所蔵のどちらかというと有名な方ではなく、ムンク美術館所蔵のもの。
 2つの「叫び」は、画法の違いのほかにも、画面右側の色調や赫い空のうねり描写の具合などに違いがある。

 2つの「叫び」から「水曜どうでしょう」の「ヨーロッパ・リベンジ」シリーズ(1999)を思い出して、番組の録画を見る。
 過酷なスケジュールの北欧レンタカー珍道中。せっかくノルウェーまで来たんだからムンク「叫び」くらいは観て行こうと、高速道路から下りてオスロ市に寄り道。しかし毎度のことながらろくに下調べもしない一同のこと、国立美術館はあいにく休館日。それでムンク美術館の「叫び」を観てきたというお話。
 ついでながら、このときムンク美術館で買った「叫び」の人の等身大風船人形が、その後の道中でいつしか「ムンクさん」と呼ばれるようになって大きな役どころを演じることになるのだけれど。

 それからもう一つ、ムンクの不思議な写真活動を紹介していた港千尋『映像論』を思い出して、再読する。
ムンクが写真を撮った時期はふたつに分かれており、前期が一九〇二年から一七年、あいだを置いて後期が一九二六年から三二年となる。》
《露出時間が一秒を切るようになって、写真がますます存在の記録として考えられていた時代に、逆に露出時間を長くとって、被写体を動かしたり、あるいはレンズの前で白い紙を動かしたりしながら、物事が消滅することはどういうことなのかを見つめていたのである。》
《カメラが人間ではなく人間の影を記録することを、魂ではなく魂の影を吸い込むことを、北の劇作家[ストリンドベリ]と画家は直観的に理解したのだろう。》
  (港千尋『映像論』、第II章・I. 魂の影 pp. 109-11)
 観たことのないムンクの写真作品をこの機会にまとめて観覧できれば素敵だけれど、まだムンク展の詳細な展示作品目録は公開されていない模様。

 台風に刺激された前線の影響か、夜になると降ったり止んだりの雨になる。


ムンク展-共鳴する魂の叫び」特設サイト
2018年10月27日(土)〜2019年1月20日(日)
東京都美術館
https://munch2018.jp

映像論 〈光の世紀〉から〈記憶の世紀〉へ (NHKブックス)

映像論 〈光の世紀〉から〈記憶の世紀〉へ (NHKブックス)

早稲田


早稲田大学 大隈講堂

 早稲田大学で「写真家としてのル・コルビュジエ」を観覧。
 家庭用ムービーキャメラによるコマ撮りスチルショットの発掘展示。
 あえかに流れ去る時をさりげなくすくい取るような軽やかでいて確かなまなざし。
 客船や水上飛行機のメカニックな被写体の切り取りの巧みさが印象に残る。

 赤絵の陶磁器の展示も観覧。
 柿右衛門を特徴づける赤絵を引き立たせる独特の不透明感のある白地は、なるほど効果のある特徴的な技巧だと感じた。
 時代や地域を異にする中国の古陶の、それぞれの味を見比べるのが面白かった。

銀座・深川


深川

 銀座ナガサワギャラリーで須田一政の写真展「Rei」および同氏初期作品の展示を観覧。
 ショーウインドーのマネキンたちに会いに早朝の銀座や表参道へ通い続けたここ数年の妄念が結晶した新作。
 1970年代の初期作品にイデオロギー的言説の退潮した時代の空気を感じるのは私の勝手な解釈か。
 ありふれた街角にありえない不思議の入り口を見出す幻想の力。

 深川アンドーギャラリーで笹井青依の個展「Salix」を観覧。
 あいまいな中間色の空を背景に風にそよぐ立木を描いた油彩画。うごめく風の存在が濃厚に感じられる。
 どこかしら不穏な気配が今の気分に響きあう思いがする。
 作品の題名にはモチーフとなった植物の名前が即物的に付けられている。

 日も暮れて隅田川の花火を見に行く人の流れとすれ違う。歩いていると花火の煙も流れてくる。

部屋

 前に藤沢に遊びに行ったとき、たった数千円の値札が付いていたので買って来た中古のジッツオの小型三脚がある。
 細身の脚と二段伸ばしのセンターポールが軽い力のネジできっちり締まる、造りの良い工業製品。だけど1本の脚の付け根にガタがきている。
 このまま補助的にライトスタンドかなんかで使うか、きっちり修理して使うか、なんとなく扱いを決めかねたまま。