舞城王太郎の二冊

 舞城王太郎の二冊の短編集、『スクールアタック・シンドローム』(新潮文庫)と『熊の場所』(講談社文庫)とは、よく読み返す。
 どちらも21世紀ゼロ年代前半〜半ばに執筆された作品。

 どちらも荒唐無稽な小説の仮面をかぶった、2001年の9.11.テロ以降の世相に対する鋭い風刺と皮肉の効いたアレゴリー(寓意文学)として楽しめる理知的な作品群。
 近代文学が「アレゴリーから小説へ」と動かしてきた振り子の揺り戻しを感じさせる、”小説からアレゴリーへ”の可能性。

「小説が個物の寓話であるように、アレゴリーは抽象観念の寓話である。抽象観念は擬人化され、それゆえ全てのアレゴリーには小説的要素がある。反対に、小説家が提示する個物は一般性を志向する(デュパンは《理性》であり、ドン・セグンド・ソンブラは《ガウチョ》である)。小説にはアレゴリー的要素が内在しているのだ。」
  ボルヘスアレゴリーから小説へ」/『続審問』所収

 そういえば、萌え擬人化が流行りはじめたのも、ちょうどゼロ年代前半〜半ばのことだった。
 パラダイムの狭間の時代において、まだ馴染みのない概念や、すでに空疎になってしまった決まり事に、血を通わして身近に引き寄せるには、擬人化という手法が有効だ。
 これが『中世の秋』ならぬ、”近代の秋”の兆しだとでもというのならば、それはまたおもしろいことだけれど。

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私の解題

熊の場所』(2006年文庫化)
・「熊の場所」(2001年)
 恐怖の対象をさらに膨張させる不安の解剖学。その治療と克服。
・「バット男」(2002年)
 ”誰かのため”の行動が生み出す、主体を置き去りにしたかけ違えの遁走曲。
・「ピコーン!」(2002年)
 決意と実行。直観に導かれた英知。ポスト村上春樹世界の方法序説

スクールアタック・シンドローム』(2007年文庫化)
・「スクールアタック・シンドローム」(2004年)
 全体の論理を個人の選択にまで適用しようとするときに生じる軋み。吞み込まれることと切り拓くこと。
・「我が家のトトロ」(2003年)
 ”幸せな日常”幻想の脆さと危うさ。守られた世界の狭さ小ささ。自由意志の主観的判定の困難。
・「ソマリア、サッチ・ア・スウィートハート」(2004年)
 締念と介入と傍観と。ソマリアアメリカ、日本の擬人化。ソマリア紛争のアレゴリー