展覧会

上野の森美術館VOCA展 2012」
ナダール東京「④」展

 カッコつけるための技術や知識のひけらかしよりも、手段はともかく他人に伝えたいことがあるかどうか。
 目の前の人にどうしても伝えたくて、手近にあるレシートの裏側でも何でも、メモ書きでもなぐり書きの絵でもいいから、なんとかして示し表したいことが、今ここに、あるか。

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 小さい子どもが「ねえねえ、こんなおもしろいことがあったよ!」「こんなものを見たよ!」と息せき切ってしゃべりまくるような勢いが、表現すること、伝達することの基本だったろうに。
 とはいえ「すげえ!」「やばい!」「かわいい!」「感動!」ばかりじゃ他人には伝わらないから、表現を工夫して、言葉をえらんで、順序立ててみたり。そうやって体験を分節することで伝わりやすくなることが増える反面、語りの枠組みに納まりきらず蒸発してしまう部分も出てくる。しかし本当の体験そのものそのままを他人と共有することは出来ないことこそ、メディア表現の限界でもあり可能性でもある。
 仮に体験したことや思ったことや考えたことをそのまま他者と共有できるテレパシーといったものが使えたとして、それで表現は面白くなるかどうか。「本当の体験そのものそのまま」の真実がただ一つだけ存在している世界を想像してみても、僕はそれに魅力を感じない。誤解やら解釈の相違によって、ひとつの世界が増殖することほうがおもしろいから。
 世界の切り子面が増えたてきらきらと輝きを放ったり、別の角度から光が当たって意外な見え方を示したり、重ね書きの羊皮紙のように意味や時間や指示対象が重層化したり。たかがそんなことのおもしろみにとらわれて、僕はわざわざ表現メディアなどという回りくどい道具を使って、その限界とケンカしたり慣れ親しんだりと間接的な行為をくり返している。

 だから、僕自身同じ穴のムジナなのだ。
 ただし、ムジナの正体はタヌキかアナグマか。
 同じ穴に住んで居たりして、まぎらわしいけれど。