一昨日のトーキョーアートブックフェア
一昨日、3331アーツチヨダにて開催されていたトーキョーアートブックフェア2011に行きました。
ZINE(ミニ冊子)の流行発信源とされる、80's-90'sアメリカ西海岸スケートボード文化のローカルコミュニティのなかで生み出された、当時のコピー製本のZINEやステッカーの展示を興味深く見ました。
西海岸のZINEは、情報伝達、仲間作りが主眼におかれている印象が強く、インターネット前夜における紙媒体のホームページやブログといった感じ。
コミュニケーションツールとしての実用性が主眼に据えられているようです。
そしてスローガンやモットーの単文を印刷しただけのステッカーも興味ある物件。
スケートボードやってるとステッカー貼る場所に困らないだろうなあ。
そのステッカーから飛躍して、ジェニー・ホルツァーのことを思い出しました。
電光掲示板など公共の媒体に、短い警句的な文章を流すパフォーマンスによる作品を、90年代に発表した現代アーティスト。
記録写真を通して知っているだけなのですが、そのさりげない日常の侵犯行為がおもしろくて、気になっていた作家です。
いまどうしてるのかな。このところずっと近作を知らないでいた。
あちこちのブースを見て回っているうちに、僕が求めていた小冊子的な魅力って何だったんだろうと考えたりもしました。
僕の場合小冊子は、それ自体のオブジェ性を楽しむミニアチュール嗜好、自己完結性への関心がより強かったのかもしれない。
矛盾をはらんだ言い回しながら、「ディスコミニュケーションツール」とでも名づけたい存在は可能だろうか。
ディスコミニュケーションという形式のコミニュケーションをとる楽しみを伝えられないだろうか。
古代の夜の闇のなかで取り交わされた相聞歌のような。
戦国乱世の茶室の中で言葉少なに斬り結ばれたオブジェとパフォーマンスの一期一会のような。
そんな自身の内向に傾きがちな心情を認めるのは、良いことか悪いことか。
気分が疲れていたこともあり、結論は出ません。人の熱気でむんむんする会場で、汗をふきふき逡巡していました。
でも会場には、流行グループに遅ればせながら仲間入りをさせていただきたくての、上目遣いの後追い合戦が多いように見えました。
そしていかにも「アートブック」いかにも「ZINE」という出品が多い横文字アートな雰囲気の中で、恵文社一乗寺店のブースの出品が僕には際立って映りました。
「京ごのみ」「昭和レトロ」とでもいうか、縦書き系のデザインが与えるインパクトは軽視できません。
これは僕が小さい時から「暮しの手帖」や「こどものとも」「チャイクロ」なんかを見て育まれた個人的嗜好にすぎないのかな。
それともこのときは、氾濫する横書き欧文やかっこよさの主張合戦に疲れていて、フツーに無言で群衆の中で独りになって、無名の群衆の一人としてぼんやり立ち読みする居心地よさを、身体が要求したにすぎないかもしれませんが。
とはいえ歴史観光都市京都を支えているのは、そのブランドイメージにあこがれ、おカネを落としに京都にいらっしゃる、僕を含めて「京都らしさ」にあこがれる他所のお人たちなのですから。
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そういえば昨夜BSでやっていた溝口健二の「雨月物語」を観ました。
疲れていたのに画面から目が離せない凄い美しさ。クレーン撮影、背景、群衆、衣装、能楽の様式。
あくまでも実写映像によって描き出された、説得力のある夢幻の世界。
「夢幻」に対して「幽玄」とは、より複雑な解凍作業を伴う、もっとデジタルな情趣を指す語彙かもしれない。
ふと、そんなことを思いました。