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 …「お気付きになったことがありませんか」とウルリヒはいった。「当今、目立って多くの人が路上で独り言を言っているのを?」………「なにか彼らとぴったりしないものがあるんですね。自分の体験を完全に体験しつくせない、あるいはそれを完全に吸収しつくせない。それで、その残ったものを吐き出さなくてはならないんです。そのために、ものを書こうという大げさな欲求が生まれるんだと、私は思いますね。ひょっとしたら著作家の場合には、この現象は見られないかもしれません。というのも、この最初の原因を覆い隠すほどに大きく育った才能なり練習なりに応じて、何かが生まれるからです。しかし読者の場合には、これがじつにはっきり見えています。今日では、誰も本当に本を読んじゃいません。けしからんことには、誰もが著作家を利用して、賛成なり拒否なりの形で、自分にある余計なものを払い落とすだけなのです」
  R. ムージル『特性のない男』 第1巻 第2部 第91章 加藤二郎 訳/松籟社ムージル著作集・第II巻 p.209