砂嵐の鑑賞

 アナログ放送停波。

 これを期に、デビット・リンチや、エイフェックス・ツインことリチャード・D・ジェイムズも夢中にさせたという、全世界規模のお化け番組「テレビの砂嵐」の鑑賞することにした。
 始まりもなければ終りもない。しかし放送局ごとに砂嵐の表情が違う。音声も違う。意外と個性的だ。

 動きがあるといえばあるし、ないと言えばない。
 注視すると見えてくるイメージもあれば、力を抜くと浮かんでくるイメージもある。

 モニタに映し出された映像自体に変化があるのではなくて、自分自身の眼球の筋肉の力加減や脳内のゲシュタルトのまとめ加減で、模様が生まれたり、回ったり、踊ったりする。

 音声は、雨音やせせらぎを思わせる、ホワイトノイズに近い音。
 これは無音状態よりも静かだ。
 全く音が無くなると、それまで気付かなかった音が気になりだすから。

 なにより作為がない。
 エントロピーは「 ∞ = 0 」。

 外の変化の鑑賞ではなく、内の変化の鑑賞。これが発見だ。
 枯山水の庭や、打ち寄せる波や、曇り雲をぼんやり眺めている感じに近い。

 砂嵐の画面にカメラを向けるが、シャッタースピードの加減で、画面に黒帯が入ったり、動きが流れたり、なかなかにそのイメージは捕まえがたい。

(日本国内で採用されているNTSC方式の場合、通常テレビ画面の撮影は 1 / 25 秒に設定する)