「心を一つに」してはいけない

 東日本大震災より1カ年。
 テレビやラジオでは震災追悼番組の放送しきり。

 「心を一つに」のスローガンが連呼される。
 なんとなく感動の安売り、薄っぺらい同情、考えもない共感を羅列するばかりの印象。
 「あなたがたも大変、私もそれなりに大変だったんだから、アレはもう終わったことにしましょう」とでも言い交わすかのように。
 問題を曖昧にぼかすためのスローガン。これではまるで、第二次敗戦直後の日本の合い言葉「一億総ざんげ」みたいだ。

 震災で命を失った人、家族を失った人、家を失った人、住み慣れた土地に住めなくなった人、長年土地とともに育み続けてきた農畜産業を廃業した人、避難所で体調を崩した人、傾いた家の再建費用に頭を悩ます人、原発事故で被曝した人、放射能恐怖症にとらわれている人、転校先の学校でいじめられている子ども、いじめている子や親、経済環境の激変に苦心する人、被災地で一山当てようと算段している人、それから直接の被害を受けなかった人、そしておそらく震災の影響で自殺した人、等々。

 震災をめぐっていろんな人がいろんな形で影響をうけただろう。
 当事者もいれば、第三者もいるし、その間に立って立ち働いた人もいる。出来事に主観的に向き合う意義もあれば、客観的に向き合う意義もある。
 複合的な災害からの復興には、それだけ多彩で多様な技術と視点と心とが必要になるのだから、「心を一つに」してはいけない。
 曖昧な同情と共感に対象を単純化して、みそぎを済ませたようなような気になって、今起こっていることを無かったことにしてはいけない。

 なにもしてない傍観者としての私は、私とあなたとの違いを見定めていく。


震災後一年間の関心事覚え書き
災害心理学、不安とパニックの観察
能楽の五番立ての流れの意味
・原爆文学、広島被災復興資料
・精密な地球規模流通システムの脆弱性
・土地に根ざした第1次産業と、自活しうる地方文化
・牡蠣養殖ネットワーク
・武蔵野・平林寺、人によって作り出された豊かな自然環境