YS-11の話
戦後初の日本国産民間航空機「YS-11」の開発と誕生とその後
政府主導で日本航空機製造が発足
WWIIの名戦闘機開発技術者が5人集結
華やかな宣伝にはなったが、技術者各人「自分のやり方が一番」と譲り合わず計画難航
民間航空機戦後第1作ということで、革新性よりも確実性を選択した設計を選択
民間機基準ではなく軍用機基準
基本性能重視で、乗客の快適性はなおざりな傾向
低い天井
デビュー当初は雨漏りもしばしば
発表から5〜6年かけて修整、改良
相次ぐ追加修整にかかる追加予算で赤字累積
「親方日の丸」の慢心も否定できず
国会で槍玉にあげられて製造中止決定
それでもアフターサービスは継続
民間航空機ビジネスに関する評者の言
「民間航空機とは、販売網、セールス、アフターサービス、継続性等、様々な要素の上に成り立つ製品でありビジネス。
販売網、ネットワーク形成、そして航空会社からの信頼を築き上げることがメーカーの財産。
したがって、民間機第1作が黒字になることはまずありえない。赤字問責に応じた製造中止は早計だったのではないか。
YS-11は、定時発着性が極めて高い(機械トラブルが少なくて、予定通り運行できる)こと、取り扱やすさが評価されており、今もアジア各国で運用されている。
YS-11をあのまま製造し続けたならば、堅実な中規模機として需要はあったし、長く続けることで生産体制も安定して、黒字を生んだかもしれない。
YS-11は180機ほど製造販売された。そのうちアメリカの地方航空会社が23機も一括注文した。これは今にして評価すれば、民間機第1作としては上々の成績だったと言えるだろう。」 云々
部分品製造と、ブランド企業との違い
顧客とのやりとり、そこから得た情報を製造計画や設計のモディファイ等に生かすのはブランド企業の特権。
ディレクション、プロデュースをするイニシアチブ。
国主導のジャパン・ブランドの意味